TEAM BRIDGESTONE Cyclingと振り返る2023シーズン
2023年の暮れも押し迫った12月某日、チームパーシュートで3年ぶりに日本記録を更新し、個人種目でも世界選手権でメダルを獲得するなど、パリ五輪に向けて躍進を続けるTEAM BRIDGESTONE Cycling(トラック中長距離及びロードレースチーム)にロングインタビューを敢行。トラック競技の経験を活かしながら、国内のロードレースシーンでも異彩を放つ彼らに2023シーズンをじっくりと振り返ってもらいました。その様子を前編と後編の2回に渡ってお届けします。
後編はロードレースの振り返り。ツール・ド・九州や、ロードレース東京の話はもちろん、トラックとロードの相関性や近年のチームの動向についても話してもらいました。
国内ロードレース
──では、ロードレースについても振り返らせてください。2月の鹿屋・肝付ロードと志布志クリテリウムから始まっていて、この辺りがトラックのネイションズカップと日程が被っているので、そちらに行っているメンバーがいない中で、新加入の岡本選手と山下選手と合流しての戦いだっと思いますが、この辺りの連携は問題なくできましたか?
山本:鹿屋の時は、確かに最初は不安だったんですけど、二人とも学生で強いだけあってしっかり走れていて、最初からトレインを組んで連携できていました。
──2月の寒い時期でも、山本選手がロードで2位に入っているし、岡本選手もクリテリウムですぐに2位に入っています。
山本:ロードの方は僕の力不足で愛三(工業レーシング)の岡本隼選手を捲れずで、クリテの方は最終周目前に鎖骨を折るっていう(笑)。その時についてはタラレバですけど、コケてなかったらワンちゃんあったのかなというくらい集中できていて。2月は調子も凄く良かったので。(岡本)勝哉との連携も、前日のロードの時からしっかり取れていたので、その点は良かったです。
──そのルーキーの岡本選手ですが、今年Jプロツアーで2勝を挙げました。どんな印象ですか?
山本:上手いですよね。スプリントがありますし、根性があります。スプリントを任されたら自分がやるんだっていう気迫とか、加入一年目とは思えない。大学3年生とは思えない感じですね。
河野:彼は単騎でも勝てますよ。播磨(JPT 西日本ロードクラシック)で実際に勝ってるんで。愛三の岡本隼さん達を相手に。
松田:ビックリですね。頼もしいですよ。
──少ないメンバーでロードレースに出ることも多いと思いますが、そういう意味では大きな戦力になりそうですね。
河野:はい。非常に。
──5月のツアー・オブ・ジャパン(以下TOJ)は比較的フルメンバーという形での出場になったかと思います。チームとしては兒島選手が山岳賞を獲りに行くという動きでしたが、この役割は立候補したとお聞きしました。
兒島:チーム内で誰かが狙うという話になって、河野さんか僕かという流れになったと思うのですが、せっかくなら挑戦してみたいなという事で「僕がやってみたいです」と立候補しました。
──御自身として登りはどうなのですか?
兒島:登れないんですけど…。でもTOJの登りって富士山と信州の登りは凄く登るんですけど、それ以外はそんなに登らないコースレイアウトだったので。
──あくまで山岳ポイントに向けてと言う感じですね。
兒島:ゴールまで残らないといけないとかではなくて、途中のポイントだったので、これならもしかしたら行けるかもと思ったので。
──最終ステージは僕も現地で見させてもらったのですが、窪木選手が美濃ステージで2位に入っているのもあって調子は良かったんだろうなという感じはしていました。その窪木選手を勝たせる動きとして、最終盤ではブリヂストンのコントロール下でレースが進みましたが、トレインを組むとか、エーススプリンターのリードアウトという意味で、トラック競技・チームパーシュートの経験などはかなり活かされるものですか?
山本:そうですね。スピード域に関しては僕らが一枚他のチームよりは上手だと自身を持っていて、事実上そうなっていると思いますし、単純に力比べだったら負けないよっていう所はありますね。トラックの経験が活きていると思います。
──たとえ周りに他のチームがいてもスピード域で勝っているから、気にならないという感じ?
山本:たとえば他のチームの沢田桂太郎選手(スパークルおおいた)とか岡本隼選手(愛三工業レーシング)とか、確かに滅茶苦茶力がありますけど、単体で挑んだら分からないですけど、チーム全体としてのスピード域はウチが上だろうっていう自負は持っているので。
──そういう部分でしっかり窪木選手を発射できたという事ですね。
──7月には石川クリテリウムとロードレース。ここで岡本選手が2勝目を挙げると。このレースで兒島選手に伺いたいのですが、世界選手権の直前のタイミングでよく出場したなという印象だったのですが、直前の怪我のリスクであるとか、その辺のことはあまり気にならなかったですか?
兒島:リスクはあったんですけど、さっきも言ったみたいにロードレースに出ると体力が上がるというのがあったので。(直前に)高強度の部分を入れておきたいと僕は考えていて、まぁコケるリスクは高いですけど、気を付けていれば回避はできるんで。
──意図的に出場されていたという事ですね。
──9月10月には群馬CSCであるとか、大分アーバンクラシックやクリテリウムがあって、この時に河野選手が3位で度々表彰台に上がっていますが、この時は調子が上がっていましたか?
河野:もともとを言えばツール・ド・北海道に向けて調子を上げていたので。本当は北海道からの流れで(ツール・ド・)九州まで上げていければ良いかなと思ってたんですけど、北海道はレースがキャンセルになってしまったので。そこでコンディションを完璧にすることができなかったので、思うようには上がらなかったですけど、そこそこ調子は良かったと思います。
──九州は調子よく入れましたか?
河野:いや九州はダメダメでしたね。僕の場合はもう2月の時点で体ができ上がっていたので。そこから1年ぶっ通しでやってきたので、さすがに体がもたなくて。大分でぽっきり折れて、僕はダウンしました(笑)。
──ではそのツール・ド・九州について。もちろん活躍された兒島選手にお聞きしたいですが。以前から九州が出身地である今村選手と兒島選手に注目が集まっていましたが、直前のアジア大会で今村選手が怪我をしてしまいました。結果その注目度は兒島選手に集中する形になったと思うのですが、それは力に変えることができたという感じですか?
兒島:そうですね。クリテリウムと福岡ステージは力になりました。地元だったので。
──初日のクリテリウムは最初から兒島選手エースで挑んだという形でしょうか?
兒島:窪木さんがエースだったんですけど、その前を僕がリードアウトする予定で、最後僕が行けそうだったら行かせてくれるという話でした。最後のコーナーを僕が先頭で入ったので、そのまま僕が行ったという感じですね。
──翌日の第一ステージでも勝ちました。よくあの先頭集団に残っていたなという印象でしたが、調子はよかったのでしょうか?
兒島:同時期にアジア大会もあったんですけど、どちらかというと僕は九州に向けてコンディションを上げていっていて。体重とかもちょっと絞ったりして、九州に向けて仕上げていった感じです。
──結果、総合のポイント賞を獲得しますが、最終日のゴールまでもつれました。
兒島:最終日の逃げの3人の順位によっては、逆転されるかもしれないという所だったので、ゴールスプリントまで残る必要がありました。
──スプリントポイント賞には、正にチームの母体であるブリヂストンがスポンサーとして入っていて、その辺りを意識することはありましたか?
河野:相当ありましたね。チームとしてそのブリヂストンのロゴが入ったポイント賞ジャージを死守しなきゃいけないというのが一番大きかったです。
──プレッシャーは感じましたか?
兒島:僕がめっちゃ感じました。あれは凄かった(笑)。
一同:(笑)
──そして10月の最後にかすみがうらTTとロードレースがありました。霞ヶ浦といえば松田選手というイメージが強いのですが、意外とTTバイクに乗るレースは少ないですか?
松田:年に1回とか2回とかですね。霞ヶ浦以外では全日本ロードのタイムトライアルです。最近はアジア選手権とスケジュールが重なる事が多いので、全日本をキャンセルすることもありますが。
──TTバイクとタイム系のトラックバイクのセッティングでは、同じようにDHポジションをとって、同じイメージで踏めている感じでしょうか?
松田:そうですね。似せるようにはしているので。トラックバイクでは勝手に足が上がってくるので、その分キツいポジションを取れるんですけど、ロードだとそうはいかないのが違いです。
──ロードでもトラックでもタイムトライアルが得意種目であることは間違いないと。
松田:霞ヶ浦は距離もいいんですよね。ちょうどチームパーシュートの1走でやってるくらいの距離だし。コーナーもあって休めるし。
──翌日のロードレースでは山本選手が勝ちました。最後は山本・松田・兒島選手のブリヂストン3名と、シマノレーシング寺田選手の計4名の逃げの中から抜け出した形になりましたが、これは最終的には行ける選手がいくという形ですか?
山本:そうです。まさか3対1になるとは思っていなかったですね。
松田:そういう局面になることも少ないんですけどね。こういうケースでは仲間に負担をかけずにアタックをすることとか、煽らずに相手を取り残す方法とか、そういうのが肝になってきます。ちょっとクレバーにならないと。そういう局面はもしかしたらひっくり返されることもあるので。こっちが攻めたと思っていたら、実は向こうが守っていて最後に行かれるというパターンも充分にあり得たので。
──山本選手はこの時の優勝後のインタビューで、ご自身の怪我の話と、ツール・ド・北海道の死亡事故がご自身に与えた影響についても少し触れられていました。去年も学連のレースで大きな事故がありましたし…、その辺りについては難しい話だと思うのですが何か考えていることなど、この場でお話しいただく事は可能ですか?
山本:去年の学連のレースは知っている選手ではなかったので、話題となったプロテクターの問題など色々考えながらも、そこまで大きなリアリティは無かったのですが…。今回の北海道については(亡くなられた選手が)完全に後輩で、2~3年一緒に過ごしてきた選手で、リアリティがあって…。北海道って(反対車線に)車が入るレースで、ずっとそういうスタイルでやって来ていて。過去に自分も危ないなと思う場面もありましたし…。でももう(公道でレースを)「やりたいやりたい」の一心でやってちゃダメなんだろうなと…。考えもまだしっかりとまとまってはいないんですけど、そこは絶対に変えていかないといけないなと自分の中でも思って。今回の件を受けて、今後公道でのレースがどうなっていくかは分からないですけど、安全性も意識しながら競技をやりたいなと思うようになりました。
──僕たちもファン目線で無責任に「ラインレースが見たい」という事も多かったと思います。でもそこで様々な安全性が犠牲になっているなら、そういう意識から変えていかなければいけないと思いました。レクリエーションでスポーツバイクに乗る人たちにとっても公道で車と共存する中で、危険と隣り合わせで走っている訳で、「それでも自転車に乗るのは何故だろう」と根本的な部分さえ考えさせる大きな事故でした。霞ヶ浦で山本選手が勝って、そこで少しでも触れてくれたのが良かったです。
宮崎監督:先日のロードレース東京でも、結局片側一車線の区間はレースができないという主催者判断で、ニュートラル区間が設定されましたよね。今回は特別なイベントレース的な立ち位置でしたけど、UCI管轄のレースだとあれは通用しないので、そうなってくると今後公道レースが難しくなってくる機会も多くなってくるかもしれませんね。
ロードレース東京と今後の展望
──先日、今年を締めくくる形で行われたのがその「ロードレース東京」ですが。これもやはり兒島選手にお聞きしなければなりません。見事な独走勝利。あんなことになるとは思っていなかったのですが。
兒島:僕も思っていなかったです(笑)。
──カメラにもバッチリ映っていましたし、本当にインパクトのある勝ち方だったなと思いました。後続とのタイム差もほとんどなかったように思うのですが、お互いが見えている状態でしたよね。その見えている、見られている状態で逃げ続けられるというのは、トラック競技のバンク上のメンタルに近いのかなと思いましたが、その辺りはいかがでしょうか?
兒島:僕は後ろを振り返っていなかったので…。只々バイクから出るタイム差を見て、一桁になることが無かったので、ずっとキープだったので、そのまま行こうという感じでした。
──でもそれこそ20秒以内とかというレベルですよね。
兒島:ずっとそれくらいでした。それが減ることがなかったので、そのまま行こうと。
宮崎監督:一周分だよね(笑)。この人たちは250バンクでしか計算できないので。
──ロードしかやってない選手なら諦めそうな秒差が続いたなと思いましたが。
山本:僕でも諦めていますね(笑)。
松田:牽くチームもいなかったんで。
宮崎監督:タイミングも良かったんです。みんなオフシーズンに入っていて、ウチだけオフじゃなかったので。
山本:とは言え強かった。
──後ろの集団コントロールはどんな感じでしたか?
松田:僕らが先頭から下がると、散発で行かれるんで。アマチュアの海外のレースみたいな感じで。そんなふうになって後手を踏むくらいなら、(先頭に出て)後ろを見ながら(アタックする選手に)「そういうつもりなら付くよ」っていう感じで(ブリヂストンがコントロールしていた)。
──スプリントにも備えました?
松田:2位3位も獲るっていうつもりで(笑)。
山本:10キロ前とかそれくらいから、誰かがアタックしたら、それを徐々に詰めていくっていうのを繰り返して。逆に誰もアタックしなかったら徐々に(集団のペースを)落としていくっていう。
──その繰り返しの結果があの秒差になったと。
山本:そうです。他に集団で動こうとするチームもいなくて。
──それはどうしてですか?単純にブリヂストン任せだったという感じですか?
山本:兒島が逃げ続けているのを、他のチームが上手く認識していなかったというのもあったみたいで。大喜さん(山本大喜選手/JCL TEAM UKYO)がコケて、あの速度域なら兒島も降ってきているだろうと考えている人間が大多数。
松田:それで(兒島選手も)捕まったと。
──山本大喜選手が落車したタイミングでは、兒島選手はとりあえず行くしかないという感じですか?戻ろうっていう感じにはならなかった?
兒島:めっちゃ考えましたね。
松田:嘘でしょ!?(笑)。
兒島:後ろ見て、うわーどうしようって思って…。一瞬悩みました。
松田:でも考えながら踏んでたでしょ。
兒島:いやいや、一瞬止まってるシーンが動画に映ってますよ(笑)。 集団には秒差って出ていなかったんですか?
山本:出てたよ。出てたけど先頭に対して出てるから。みんな後ろにいるじゃん(笑)。でも俺らが先頭にいるから(笑)。コントロールしてるのは俺らだからさ(後ろの選手にはあまり見えていない)。
──兒島選手がその日のインスタストーリーで、帰って更にロードトレーニングだとポストされていて驚いたのですが、当日のレース強度とかは練習メニューに関係ないのですか?
兒島:まぁ出されていたので、元からやる気で。本当はゴール地点から自走で帰るというのも考えていたんです。でも表彰も遅かったので…。
──で、しっかりトレーニングもされて一日が終わったと。
──そんなロードレース東京でしたが、一年の締めくくりとしても兒島選手が勝って、チームとしても良かったですし、ご本人としても飛躍の年になったのではないかと思います。こういうのを見ているとブリヂストンのビジョンとして、やはりトラック強化の先にロードを見据えているのかなという気もするのですが、そのあたりはいかがですか?
宮崎監督:トラックでオリンピックでメダル獲得を目指すというのが大前提なのは変わりません。でも原点を辿ればロードでの海外志向から、トラックへのシフトが2018年のタイミングにあって。例えばロード競技で海外遠征というのは、それこそ自分が選手時代の2000年代前半から20年近く同じことを続けてきたけど変わらないし…、この先10年同じことを続けていても、おそらく世界との差は縮まらないだろうなというのもあったんです。そんな中で、トラック強化からのロードというのは各国当たり前のようにやってきていて、実際に各国結果も出ているので、日本でも可能性のあるトラックに一回シフトしましょう、そこでしっかりと成績を出しましょうと(方向を転換した)。それが2018年の事です。そういった背景でロードレースに目を向けると、トラックでオリンピックでメダルを獲るというなら、国内のロードレース、UCIのレースも含めて、それくらいは勝てないと世界相手にメダルを獲ることができないよねと。そういうのは最初からずっと頭にあることです。
今の体制になったのは2021年。選手たちもかなり若返りもしましたし、そのタイミングで完全にトラックにシフトしました。チームとしての目的が全員同じなので、そこは他のチームにはないプラスな所です。普通はチーム内でも選手によって「自分はヨーロッパでロードレースを走りたい」とか、「自分は国内実業団でもいいけど、いい成績いいチームでお金をもらいたい」とか選手によって色んなズレがあると思うんですけど。ウチの場合は「オリンピックでメダルを獲ります」っていうのが明確にあって、それに賛同した選手だけが集まって来ていて、それに対して活動をしている。ですから足並みが揃って凄く良い形で、オリンピックに向かっていて、いよいよ来年は本番を迎えられると。今はそんな感じです。
──今日お話しを伺ってきて、兒島選手にとってロードレースの存在も、トラックと並行して重要なものなのだなと感じました。ロードレース東京では、今までの窪木選手、今村選手のようなゴール前スプリントとは違う展開、それこそ「ザ・ロードレース」というような「逃げ」の展開で勝利し、中長距離のトラックの経験が上手く繋がった上で結果が出たのかなと思いましたが。
宮崎監督:やっぱりウチのチームってスプリントチームみたいな印象がどうしてもあって、ゴール前でブリヂストンがトレインを組んで、スプリントに入っていくっていうのが、どのチームからもそういう印象を持たれていますし、今回もそういうコースレイアウトなので当然同じ形でやってくると思われているのは分かっていました。ただ近年のレースは、あまりにもそれが顕著に出すぎていて、他のチームが全く動かなくなるんですよ。ブリヂストン対、全チームみたいな構図が多すぎて。そんな中で愛三工業レーシングのような、本当にスプリントしたいチームにとっては、それが美味しい展開なんですよね。他のチームが散々ブリヂストンを攻撃して枚数を減らした後に、最後トレインを組んでスプリントしますみたいな。そうなるのが嫌だったんで、今回は兒島と今村には、できれば最初から逃げて少人数にしたいと…。ウチが後手を踏みたくないというがありましたから。
でも実際は兒島も今村も他の選手も、どういう形であれ走れるんです。ただ結果的にスプリントにまとめているレースは多いですけど、絶対そうしたいという気持ちも無いですし、色々なことに挑戦したい…、色んなパターンで走りたいというのが常にあります。今回は兒島、今村で行きましたけど、毎回、兒島と今村、もしくは窪木で必ず勝負するっていう戦い方は来年もブリヂストンとしてはしないです。色々な選手に色々な経験を積んでもらいたいし。もちろんロード競技をトラックにも活かしますし、トラックでこういう部分が足りてないとか、こういう苦手な部分があるよね、という場合は、その要素をロードに持ってきてやってみようかという事も多いですかね。
──ありがとうございます。チームの方向性や長期的な戦略について監督の考えている事がよく分かりました。
──では、最後に。来年に向けて「こういう部分に注目して欲しい」という切り口でお一人ずつお願いします。
松田:パワーですね。まだ外国人選手には基本的なフィジカルで負けていると思うので、そこを埋めて行きたいです。あとはチームパーシュートの1走として、1走は限定的な使われかたをするので、そこでしっかり差を詰められるように、パワフルな感じで頑張りたいです。
山本:やっぱり登りかな。もっと登れるように自力をつけようと思っています。
河野:2024年はずっと前から勝負の年と決めていたので、オリンピック出ようが出まいが。来年はどんな形であれ、どこかで必ず結果を出すと決めているので。覚悟をもってやっていこうと思っています。
兒島:戦うからには勝ちを目指して戦いたいので、ネイションズカップから、出場機会が与えられればオムニアムでも優勝を目指して頑張りたいなと思います。
──本日は長い時間ありがとうございました。年末年始としっかり休んでいただいて、2024年も皆さんの活躍を楽しみにしています!
interview and text : Daisuke Fukai / INEIVE