オリンピックという経験を経た今
2021年に開催された東京2020オリンピック。女子ロードレースは、まさに大波乱の展開となりました。スタート直後にアタックを仕掛けたオーストリアのキーセンホーファー選手がそのまま逃げ切り、金メダルを獲得。優勝候補筆頭だったオランダチームはまさかの敗北を喫しました。レース後すぐにメディア取材に応じる彼女たち。その落胆した表情は、戦前の自信、そして期待の裏返しのように見え、それまで女子のロードレースシーンに注目してこなかった私に強いインパクトを与えました。
そんな中で、もう一つ心を揺さぶられたのが、今回インタビューをさせていただいた金子広美選手の走りでした。主に国内で活動する彼女が、世界最高峰の舞台でどこまで戦えるのか。日本とヨーロッパ、特に女子カテゴリーにおける競技レベルの違いはどれほどのものなのか。まるで想像がつかない、そんな未知の中での堂々たる完走は、驚きと深い感動を与えてくれました。
今回のインタビューでは、レース当日の詳細な展開を振り返りながら、胸の内に秘められた思いに迫りました。そして、オリンピックから4年が経った今、金子選手がどんなことを考え、どこを目指しているのか──。先日発売された、ご自身がデザインを手がけたウエアに込めた想いとともに、じっくりと語っていただきました。また普段のトレーニングでも着用するINEIVEのプロダクトについてもお話を伺っています。

Road Racer
東京2020オリンピック
──本日は皆さんご存じの金子広美選手にお話を伺います。選手としての経歴も長く、何のお話をお聞きするかすごく迷ったのですが、ここはやはり東京2020オリンピックだろうと。Web上を探しても、オリンピックに向けての記事は多いものの、いざ開催が終わると、選手目線での振り返りって意外と表に出ていないものだな思いましたので、あれから4年という月日が経過してはいますが、ここで改めて振り返ることができればと思っています。本日はよろしくお願いします。
金子:よろしくお願いします。
──2021年に開催されたオリンピック、東京2020大会は新型コロナウイルスの影響で、開催されるかどうかもわからない中で、選考基準なども含め、イレギュラーな要素が多かったと思います。そんな中でスタートラインに立たれたわけですが、その時の気持ちはいかがでしたか?
金子:そうですね、やっとスタートラインに立てたんだと思いました。
──やはり、コロナ禍での開催というのは特別な思いがありましたか?
金子:そうですね。ただ、私自身はコロナよりも、その前に事故に遭っていたことのほうが大きかったです。事故による怪我の影響で間に合うのかという不安が常にあったので、コロナがあってもなくても、とにかく競技に復帰しなければという思いが最優先でした。なのでなんとか間に合ったというのが正直なところでした。
──事故はいつ、どのような状況だったのですか?
金子:2020年の5月のことです。下り坂で、対向車が急に私の前に曲がってきて、そこから記憶がなくて…。救急車で運ばれたんですけど、それも覚えていなくて、気づいたら病院でした。怪我の状況としては、骨盤の一番先端、いわゆる尾骨のあたり、仙骨という骨が折れてしまって、他にも肩や脛などにも外傷があったので、あちこち痛みました。
──2020年の5月というと、開催の1年ちょっと前ですね。
金子:他の部位の骨折だと報道で名前までは出ないのですけど、骨盤骨折は重傷扱いなので、警察が必ず発表するらしく、新聞にも掲載されることになりました。選考のこともあったので掲載しないでほしいとお願いしたのですが、ダメだと言われました(笑)。

──なるほど。そこから焦る気持ちを常に抱えながらオリンピック出場を目指して、リハビリとトレーニングを続けてきたと。
金子:はい。先生からは3日間は安静にするように言われたのですが、3日後にはローラー台に乗っていました。ただ、仙骨は負荷をかけると痛むので、サドルに跨っているだけでも痛かったです。そこからの挑戦でしたね。何度もローラー台に乗りながら泣きましたし、焦りや不安もありました。コロナよりも、まずは怪我を乗り越えることが大変でした。
──そんな中でトレーニングを続け、ご自身としてはオリンピックには良い状態までもっていけたという感触だったのでしょうか?なんとか間に合いそうだなと思い始めたのはいつ頃ですか?
金子:2020年、2021年の秋から冬にかけて、やっと外を走れるようになり、競技に復帰できたという実感を得ました。この頃は沖縄や福島で合宿を行っていて、調子も上がってきていて、そのあたりから本格的にトレーニングを再開できたという感じです。でも今思い返せば、この頃ってコロナの影響で外を走ってはいけない時期もありましたし、ボディケアやマッサージを受けたくても、感染リスクを考えるとためらってしまうとか、いろいろな制約がありましたね。レースもなかったので、自分がどこまで走れるのか、なかなか確かめる機会もなかったんですけど、トレーニングのデータを見ながら、数字が以前の水準に戻ってきたことで、感覚を取り戻しつつあると感じていました。あとは、沖縄と福島の合宿では、監督がバイクペーサーを務めて追い込んでくれたり。同じナショナルチームで、補欠選手であった樫木さんにもトレーニングや合宿でサポートしていただいて、次第に手応えが感じられる走りになってきたという感じです。
──オリンピックに向けて、レースの開催も少なかったと思いますが、実戦でのレース勘のようなものは、少し不安があったのでしょうか?
金子:そうですね。ただ、2021年には徐々に開催も増えてきて、石川ロードレースや、袖ヶ浦のロードレースなどに出場しました。特に袖ヶ浦は男子選手に混じって集団で長く走ることができたので、感覚を取り戻すことができました。

──オリンピックでは世界のトップレベルの選手たちと走ることになったわけですが、そこに対する不安はなかったですか?
金子:2018年、2019年に世界選手権に出場していたので、このクラスのレースのレベルというのは実感として分かっていましたし、その経験をナショナルチームの監督も評価してくれていました。でもどちらの大会も完走できていなくて、世界のレベルの高さを痛感していましたし、特にパワー不足ですね──、レース後にデータを見直して、自分と他の選手との差、特にパワーの差を分析しては、修正点を見つけてトレーニングに取り組みました。2018年の大会では、1つ目の大きな登りで力尽きてしまうほどだったんですけど、そこから何が足りないのかを分析して、翌2019年のイギリスの世界選手権では、ある程度の手応えを感じました。でも最終的は落車に巻き込まれて完走はできていなかったです。
──なるほど。やはり世界選手権の経験は大きいですね。差し支えなければ年齢のお話も聞きしたいです。
金子:大丈夫です!
──東京オリンピックには40歳での出場でした。スタートリストを見ても、かなり上の年齢となってくる訳ですけど、とはいえ、銀メダルを獲ったアネミエク・ファンフルーテン(オランダ)なども38歳で優勝候補筆頭として出場し、銀メダルです。彼女は更にその翌年も世界チャンピオンになっていますし──。こういうのを目の当たりにするとロードレースは年齢が全てではないと感じることもありますが、金子選手自身は年齢についてどのように考えていますか?
金子:私は年齢を重ねるごとに、もっと強くなれると思っていました(笑)。実際、オリンピックに向けて手応えも感じていましたし。女性って若い頃は不安定な時期もあると思うんです。でも年齢を重ねるにつれて、自分のコントロールの仕方がわかるようになって、安定してくる。練習にも集中できるようになりました。雑念も入ってこなくなったし、女性にとっては良いことなのかもしれません。
──経験値も上がり、自己管理ができるようになってきたということですね。それはレースにおいても同様ですか?
金子:はい、両方です。
──ちなみに、自転車競技を始めたのは何歳ですか?
金子:結婚して24歳から趣味で乗り始めて、ホビーレースなどに出始めたのは25歳頃かな。競技を始めたのは28歳くらいだと思います。
──それまでのスポーツ経験は?
金子:学校で陸上競技をやるとかそれくらいで(笑)。
──じゃあ自転車を始めた時はオリンピックなんて全く意識しませんよね…?
金子:はい、全然。まさか自分が出場するとは思ってもいませんでした。
──いや、本当にすごい…こんなことってあるんですね。
金子:私もびっくりしています(笑)。

──では、レースの話に戻りましょう。結果から言うと、このレースはオーストリアのアンナ・キーセンホーファーが0kmアタック、多摩川に掛かる是政橋のところで飛び出して、そのままゴールまで逃げ切るという展開でした。この、レースがスタートした直後の0kmアタックは集団の中で感じましたか?
金子:はい。何人か飛び出したのは感じましたね。私はこのレースでは與那嶺選手のアシストという立場を任されていたので、エースのそばについて走っていました。
──山に入るまでの市街地の区間、いわゆる尾根幹と呼ばれる区間ですが、ここでも多少アタックがかかる場面が見受けられました。この辺りはまだ危険度の低いアタックだったという感じでしょうか?
金子:そうですね。各国とも暑さ対策として、アシスト選手が氷やボトルをチームメイトに届けていました。私も市街地区間で何度も氷を取りに行きましたね。アシストは集団に何か動きがあるとボトルを届けられないので、そのタイミングを見計らう必要があります。海外での経験から、その場の雰囲気を見ながらボトルを運ぶことは慣れていたので、問題なくこなせました。
──僕は前日の男子のレースをまさに尾根幹で観戦しました。コロナ禍ということで観戦自粛が呼びかけられていたんですけど、実際には非常に多くの人が沿道に詰めかけていて、走っている選手の格であるとか、富士山に向かうラインレースという要素とも相まって、こういったレースが目の前で行われていることに、ものすごく感動しました。実際に走っていた選手からはこの風景はどのように見えていたのでしょうか?
金子:もう、鳥肌が立ちましたね。2度の世界選手権もすごく観客の数が多くて圧倒されていたんですけど、オリンピックは格別でしたね。名前を呼んで応援してくれる人がいて、とてもありがたくって、頑張らなきゃと思いました。
──名前を呼ばれたのは聞こえましたか?
金子:はい、聞こえました!
──今でもオリンピックのウェブサイトでレース映像を見ることができますが、道志みちに入ったところで與那嶺選手にボトルを運んでいる姿が映っていますね。このレースでは無線禁止のレギュレーションが、レース結果に大きく影響を与えたと思いますが、日本チームとしてはどのようにチーム内のコミュニケーションを取っていたのでしょうか?
金子:ヨーロッパの強いチーム、特にオランダのエースであるアネミエク(・ファンフルーテン)選手がどのような動きをするのかを見ながら対応していました。私はエースを守る役割だったので、ボトル運びに加えて、どのような展開になってもトラブルがないように気を配っていました。
──選手自身が集団内で状況を判断しながら、チームカーへコミュニケーションを取りに行くということですね。
金子:そうですね。
──レース当日も真夏の暑さでしたが、近年の日本の夏は非常に厳しく、本当にこんな気候の中でロードレースの開催が可能なのかという懸念もありました。海外の選手はヨーロッパとは異なる日本の暑さに対して、苦戦している様子は見られませんでしたか?
金子:そうですね、あまり感じませんでした。おそらく何らかの対策を講じていたのだと思います。通気性の高いウエアを使ったり、アイスベストを直前まで着ていたり。

──道志みちは山伏峠まで長い登りですが、この区間での集団コントロールはヨーロッパのチームが中心に行っていました。20分ほど差がついた逃げを容認していたとはいえ、決してイージーペースではなかったように映像からは感じました。集団内ではどのように走っていましたか?
金子:エースのそばについて、何か困っていないかを確認していました。道志みちでは補給食を受け取るポイントがあったので、エースがちゃんと受け取れたかなども見ていましたね。山伏峠に向けてはアネミエク選手のアタックをきっかけに集団のペースが上がって、そこで遅れをとったんですけど、2018年の世界選手権で登りで力尽きてしまった経験があったので、道志みちの登りはレッドゾーンに入らないギリギリのペースで登って、そこでできた集団と一緒に山中湖に向けて下りました。ヨーロッパの選手は下りですごく踏むので、それに乗って集団に戻ることができました。前日に行われた男子のレースでも、山伏峠に向けて集団が分裂しましたけど、下り区間で再び合流するという展開でしたよね。女子の選手たちもそれを知っていたので、ある程度の分裂はあっても、前方にいれば致命的な遅れにはならないと、みんな考えていたと思います。
──なるほど。山中湖付近では再び集団が1つになるという想定のもと、登りは力尽きないようにコントロールしながら走ったということですね。
金子:そうです。
──その想定のとおり山中湖のあたりで集団が1つになりましたね。次は籠坂峠ですが、ここがレースの最大の勝負どころであることは、事前に誰もが分かっていたと思います。当然ここでは集団が活性化し、飛び出していたファンフルーテン選手も一度は吸収されました。金子選手はここの登りで遅れてしまったのですね。
金子:そうですね。海外選手も結構遅れていたんですけど、彼女たちの峠を越えた後のダウンヒルが更に速くて驚きました。私もそれに乗って一度は大きな集団に合流できそうだったけど、ここからは中切れがあちこちで起こるという感じで、そこで集団が完全に分断されてしまいましたね。
──とはいえ、ここまで来たら完走もイメージできたのではないでしょうか?
金子:いえ、それが全く分からなかったんですよね…。完走は順位ではなくて、先頭からの時間制限だったので、周回コースに入ったところで、日本人スタッフに「先頭から何分?!」と聞いたりもしたのですが、結局分からず、私も必死でした。私のいた集団には、韓国のナ・アルム選手もいて、彼女は2016年の伊豆大島のアジア選手権でも優勝している実力のある選手なのですけど、彼女も積極的に先頭を引いて完走を目指していたので、一緒に協力してゴールまで行きました。

──結果的に、先頭から8分23秒遅れの43位でゴールしましたが、その時のことは覚えていますか?
金子:はい、覚えています。コースの左側に観客の皆さんがいて、名前を呼んで応援してくれました。とても感動しましたし、やりきったという気持ちでした。
──完走できなかった2018年、19年の世界選手権を経て、2021年に東京オリンピックという大舞台で完走できたことは、大きな意味があったことと思います。ご自身の中で手応えはいかがでしたか?
金子:はい、とてもありました。練習でも手応えを感じていて、バイクペーサーを抜いてしまうほどで(笑)、監督も驚いていましたし、自信を持って東京オリンピックに臨むことができたのが、この結果に繋がったと思います。
──完走後、レースの映像は見返しましたか?
金子:道志みちに入るまでは見たんですけど、疲れてしまってその後は見ていませんね。自分の栄光は早く忘れたい(笑)。
──かっこいい(笑)。あれから4年経ちましたが、今振り返ってみて、心境の変化などはありますか?
金子:もっとできたかなと思いますね。もっとあの時こうすれば良かったとか…。
──すごい。それはレース中のことですか?
金子:そうです。例えば、ゴールに向けての小集団は、私と韓国のナ選手が交代で先頭を引いていたんですけど、同じ集団内のヨーロッパで走る選手は、そんなことお構いなしでゴールでは着順を狙って、しっかりスプリントしてくるんですよね。だったら富士スピードウェイではまだ足が残っていたし、早めにアタックすれば良かったとか。
──ヨーロッパで戦う選手はしたたかというか、それが普通というか、ポイント争いもありますからね。ひとつ前の小集団もアリソン・ジャクソン(カナダ/2023年パリ〜ルーベ優勝)がしっかり頭を獲っていました。
金子:それは私の経験不足もありますね。もっとこういったレースに出場していれば、そういった駆け引きも分かってきたのだと思います。
──僕にとっては、この東京オリンピックの女子ロードレースはすごく興味深いもので、女子レースを見る大きなきっかけになりました。キーセンフォーファーによる独走劇はもちろんですけど、オランダチームの落胆と、レース後すぐにメディア取材を受ける彼女たちの姿がすごく印象的だった。日本ではまだまだ注目度が低いけど、国が変われば女子レースでもこんなに注目度が高いんだって──。その後、世界的にも女子レースの規模が少しずつ大きくなって、レース中継も増え、ある程度選手の名前と顔が一致するようになった今、改めてこのレースを見返すと更に面白いわけで、これだけの有名選手に混じって金子選手が走り、アシストもしながら完走したというのは、本当にすごいことだったんだなと実感しました。年齢のこともそうだし、ヨーロッパに軸足を置く選手じゃないということを考えると、本当に驚異的な結果だと思いますし、そこに至るには大変な努力があったのだろうなと感じました。
金子:ありがとうございます。事故や怪我など様々なことがありましたが、それを乗り越えて完走できたことで、今後何があっても乗り越えられるという自信に繋がりました。選手としても大きく成長できたと思います。

You I'm : All に込められた意味
──この度、金子選手がデザインをプロデュースしたオリジナルウエアが発売になりますね。お話を聞かせてもらせますか。
金子:ずっと自分のオリジナルのデザインのウエアを作ってみたいと思っていたのと、せっかく作るならオリンピック選手として、何か社会的にも意味のあるものにしたいなと考えていました。今回のウエアは一般の方も、私が作ったウエアと同じものを買っていただけて、売り上げの20%は沖縄の「沖縄こどもの未来県民会議」という団体に、子どもの貧困解消に向けて寄付させていただくという形にしました。ウエアの制作・販売、寄付までを担ってくれるのが、INEIVEも運営されてるウエイブワンさんです。

──寄付のお話を聞かせていただいた時には金子選手らしいなと思いました。寄付まわりの話って、どうしても色々考えすぎて尻込みしてしまう部分もあると思うんですけど、僕たちは、その姿勢に素直に感動したし「とにかくやってみよう」という感じで一緒に動き出した感じですね。胸には「You
I'm : All」のコピーが入っていますが、これはどういう意味でしょうか?
金子:「You I'm : All」と書いて「ゆいまーる」と読ませています。「ゆいまーる」は沖縄の方言で「助け合い」という意味ですね。
──英単語にも上手く当てはまりましたね。
金子:「あなたと私、2人いれば何でもできる」「1人ではない」という思いを込めています。「ゆいまーる」という言葉の響きも好きで、ウエアのデザインに取り入れました。私も1人では選手として活動できなかったですし、今も多くの人に助けられて自転車に乗ることができています。そういう気持ちをどこかで恩返しできればと思っていました。
──金子選手のファンはもちろん、その気持ちに共感してくれる人がウエアを買い、「ゆいまーる」というフレーズを共有できるといいですね。
金子:そうですね。本当に「ゆいまーる」の精神で活動していきたいと思っていて、将来的にはこの「You I'm : All」のコピーがウエアから飛び出して、様々な動きに繋がればいいなと思っています。例えば「未来チケット」という仕組みがあって、これは大阪のカレー屋さんが始めたそうですけど、300円や500円程度のチケットを大人が買ってお店に預けておくと、そこに来た中学生以下の子供たちがそのチケットを使って食事ができるというものです。今回の寄付も、「沖縄こどもの未来県民会議」を通じて沖縄の子供食堂などへの支援に繋がればいいなと思っていますけど、これを自転車の世界に置き換えたらどんなことができるんだろうっていうのも考えていて──。例えばこの「You I'm : All」のウエアをきっかけに「ゆいまーるチケット」のような制度を紹介して、サイクリストが集うパン屋さんがこの活動に賛同してくれたりしたら、お客さんがパン1個と一緒にチケットを買ってお店に預けてくれれば、子供たちだけで来た時にそのチケットでパンを食べることができる、とかね。
というのも去年から私はキナンレーシングチームでジュニア選手の育成にも関わっていて、最近の自転車って、やっぱり高価じゃないですか。だから、限られたお小遣いの中で、途中で何か買うのを我慢してる子って、結構いると思うんですよ。そういう子たちにとって、「あそこに行けば何か食べられるよ」っていう場所があったら、「じゃあ、あそこまで一緒に走ろうよ!」って、友達を誘うきっかけになるかもしれない。すごく大きな話に聞こえるかもしれませんけど、そんなふうに繋がっていったら面白いなって思ってます。

──沖縄の子どもたちの支援から始めたいと思ったきっかけは何かあったのですか?
金子:ツール・ド・おきなわにも何度も出場させてもらっていましたし、先に話したオリンピックの合宿もそうですけど、沖縄には度々足を運んでいました。そこで知った「ゆいまーる」という言葉によって、子供たちの貧困問題を知ったり、考えるきっかけにもなりましたね。沖縄は、子供の貧困率が全国で一番高いっていう現実もあるし、だからこの「ゆいまーる」っていう言葉、意味合いを教えてくれた沖縄から、まずは始めたいなと思いました。でも、これで終わりにするつもりはなくて、いずれは日本全国にもこの輪を広げていって、子供たちの未来のために何かを残せる活動にできればいいなと思っています。
──沖縄だけでなく、日本は先進国でありながら相対貧困率が高いと言われていますし、大きな社会問題ですよね。それで先ほどの「未来チケット」のお話などもそうですが、要するに「きっかけ」作りということですね。そういうのがあってはじめて人々が問題や課題に気付けるっていうのもあるだろうし、やっぱりアクションって重要だと思います。その第一歩として「You
I'm : All」のウエアがあるというイメージですね。今回は社会支援という位置付けでの寄付だけど、いずれは自転車の世界にも何か繋げていきたいと。
金子:オリンピックに出られたのは、自分の力だけじゃなくて「出させてもらった」という気持ちがすごく強いんです。そこには間違いなく自転車という競技があったからなので、その自転車の世界に何か恩返しをしたい、という思いが根底にあります。もちろん、選手として強くなることも大事ですけど、それと同時に、自転車を「楽しい」って思ってくれる子たちを一人でも増やしていきたいなって。あとは自転車競技の世界ってまだまだマイナーで、自転車に乗っている人たちがみんな競技を見ているわけではないですから──。私なんかよりもインスタグラマーさんの方が知られてる(笑)。そういう中で競技に振り切った活動以外の部分でも、何か意味のある動きで、いろいろな層にアピールができればいいなと思っています。
オリンピックに出て終わりではなくて、ごく普通の私が24歳で自転車を始めて、それも40歳っていう年齢でオリンピックにまで出させてもらったっていうのは何か使命があるんじゃないかと思っていて──。それで今、私に何ができるんだろうっていうのはずっと考えていたんです。なので、この「You
I'm : All」のウエアによる寄付という活動を足掛かりに、いろいろ動き出せるといいなと思っています。
──いや、心動かされますよね。僕は競技者じゃないですけど、やっぱりいろんなレースを見てきて感動することも多かったから、INEIVEも良いウエアを作って終わりではなくて、そういう日本や世界のトップレベルの競技周りで、何が行われているのか、選手が何を考えているのかという部分をユーザーと共有したい…そういう知識や興味も含めて、ライフスタイルに落とし込みたいっていうのがコンセプトでもあるので。金子選手がオリンピックという経験を経て何を感じ、現在何を考えているのかを紹介できるのはすごく意味があることだと思いますし、それが社会貢献や、今後のサイクリングシーンの発展まで見据えているなら、こんなに素敵なことはないと思います。
お気に入りのINEIVE
──INEIVEのウエアもトレーニングで頻繁に使っていただいているのをInstagramで拝見しています。一点アイテムをピックアップしていただきたいのですが、金子選手的にはどれがお気に入りですか?
金子:冬のジャケットも良いし、迷いますね。先日、GOKISOの森本誠さんにお会いした時にも、「それはどこのウエア?」と聞かれて、「かっこいい」と言ってもらいました。1点ピックアップするならRoot Woven
Jersey。着心地が良いですし、フィットするのに締め付け感がありません。見た目も洗練されているし大好きです。

──金子選手は細いですからWoven Jerseyでも締め付け感は小さいですよね。逆にFlow Jerseyだとちょっとゆったりしてしまう。
金子:先日、ヒルクライムに出るのにジャージの重さを測ってみたんですけど、Root Woven Jerseyが軽かったのでこれを選びましたね。
──僕たちもあまりプッシュできていませんが布帛生地は軽量です。
金子:唯一の不満は、(タイトフィットなので)トレーニングの帰りに買う10個入りの卵が、バックポケットに入らないこと(笑)。
──(笑)卵を背負って走られているの、いつもInstagramで拝見しています。
金子:でも、Root Flow Jerseyの方は入りますね。先日確認しました(笑)。
──割らないように気を付けてください!
金子:ちなみに一度も割ったことないです(笑)。

今後の活動について
──今後の活動や目標について聞かせてください。
金子:繰り返しになりますけど、私がオリンピックに出場した意味みたいなことはずっと考えています。自転車の良さ、競技の楽しさを、初心者の方にも伝えていきたいですね。あとはやっぱり女性の競技人口を増やしたいです。
──レース活動は継続していく予定ですか?
金子:目標は、来年ニセコで開催されるグランフォンド世界選手権での優勝です。そこにフォーカスして、自分を高めていきたいと思っています。なので今年の全日本選手権は出場しません(*インタビューは2025年の全日本選手権ロード前に実施)。全日本で良い成績だとUCIポイントが付いてしまうので、そうなるとアマチュア扱いにならないので。
──金子選手といえば、全日本での表彰台のイメージが強いですが、久々に不出場ということですね。この辺のお話って公表されているのですか?
金子:別に隠してはいないですよ。あ、これ是非インタビューに書いてほしい──、私はよくプロ選手だと思われがちですけど、いち主婦です(笑)。なのでこういう情報を公表するとか、更にはこの先、引退するとかしないとか、そういう概念もないと思っています。
──失礼しました、そうですよね(笑)。ただ、これだけの戦歴なので、どうしてもファン目線としては動向が気になってしまいます。
金子:とはいえ、何かすごく巡り合わせを感じています。東京オリンピックの前は、そろそろ競技を辞めてもおかしくない年齢だと思っていたんです。でも東京オリンピックが決まって、多くの選手が「まだやれる」と思ったと思いますし、私もその一人でした。目指さない理由なんてなかった。それで実際に出場できて、すごく嬉しかったんですけど、結果的にはアシストという役割で…。2018年、2019年の世界選手権よりも遥かに強くなったという実感がありながらも、やっぱり自分だけにフォーカスして走れたかというと、それは当然違いますから…。
──不完全燃焼のような気持ちがあると。
金子:そうですね。オリンピックの後も全日本選手権などには出場していましたけど、なかなか夏の暑い時期はうまく調子が上げられなかったりで、何かうまくいかないなと思っていた所に、ニセコでのグランフォンド世界選手権の開催が決まって。これも巡り合わせというか、「挑戦しなさい」って言われてる気がして。だから今度こそ自分自身にフォーカスしてしっかりやりたい。世界チャンピオンになってアルカンシェルを着たいなって思っています。グランフォンドは年齢別なので、年齢を理由にできないですし、絶対挑戦したいなって!
──すごい!そう考えるとオリンピックがアシストという役割だったことが、ストーリーの途中のように思えてきます。本当にまだまだ楽しみですね。レースのお話を伺うのはいつも気持ちが高揚しますが、今日お話しいただいたような、今後の多方面な活動の可能性についても、すごく興味深かったです。僕たちもこういうサイクリングシーンの「奥行き」みたいなものを、ユーザーと共有しながら成長していきたいと思っていますので、今後も何か一緒に取り組むことができればいいですね。
本日はお忙しい中、貴重なお話をたくさん聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。
interview and text : Daisuke Fukai / INEIVE
