Power. Elegance. Truth.
競輪選手としてのデビュー前からナショナルチームへと抜擢され、約8年間にわたり日本の女子短距離界をワールドクラスで牽引してきた太田りゆ選手。東京五輪でのリザーブという経験を経て挑んだ、2024年のパリ五輪では、女子ケイリンにて日本人史上最高順位となる9位を獲得するなど、競技者としての確固たる実績と強さを築き上げてきました。
ナショナルチームからはパリ五輪を最後に引退、現在は国内のガールズケイリンの頂点を見据えて再び走り出している彼女ですが、その魅力は単なるアスリートとしての側面だけに留まりません。洗練されたウエアの着こなしやファッションへの関心も高く、SNSを通じて自身のライフスタイルを自然体に発信している姿も、スタイルアイコンとして異彩を放つ一因となっています。
一方で、世界の舞台で背負ってきた過酷なプレッシャーや不慮の大きな怪我を乗り越えてきたその内面には、周囲を惹きつける飾らない自然体な人間性が息づいています。インタビューの端々から垣間見える、勝利にシビアなアスリートとしてのプロ意識、そして他者に垣根を作らない親しみやすいその横顔──。一人の表現者として次なる挑戦へと向かう、太田りゆ選手の現在地に迫ります。

競輪選手
近況
──リゆさんのことは、もう皆さんご存じだと思うので、自己紹介は省いて近況から伺いますね。まずはガールズケイリンの話から。昨年8月、宇都宮で開催されたオールスター競輪の2日目に激しい落車があり、りゆさんにとって初めての鎖骨骨折を伴う大きな怪我となりました。あれから1年余りが経ちましたが、当時のことや、その後の変化について聞かせてください。
太田:怪我によってできなくなったことは、本当にたくさんありました。腕立て伏せや懸垂、ウエイトトレーニングも一切できなくなりましたし、精神的にも結構落ち込みました。
ただ、オリンピックが終わってナショナルチームを引退してから、あらゆることをノンストップでやってきたんですよね。競輪選手としての本職と並行しながら、メディアの仕事など、今までやってこなかったことも、お願いされたら基本的には全部受けるくらいの勢いで頑張っていました。走り続けることがいいと思っていたし、立ち止まらずに頑張ることが当たり前になっていたんです。でも、怪我をしたことで、止まらざるを得なくなりました。
怪我のタイミングでもスケジュールはびっしりだったのに、手術や入院が必要になって、いろいろな仕事を断らざるを得なくなりました。選手としての自分の未熟さも感じましたし、怪我をさせてしまった選手や、他のお仕事関係の方々にも、ものすごく迷惑をかけてしまいました。
でも、こんな言い方は申し訳ないかもしれないけれど、私にとって初めて、強制的にですがすべてを休めた時間にもなったんです。
選手になってから、すぐにナショナルチームに入って、オリンピックも含めてずっと走り続けてきた中で、初めて時間が止まったような感覚でした。もちろん痛かったですし、SNSでのバッシングも、これまでで一番というくらい受けました。自分が悪かったと思うし、本当に落ち込みました。でもその一方で、気持ちが楽になった部分もあったというか──。ようやく休めたという感じもあったし、実際に自分を見つめ直す時間にもなりました。
これまでやってきたことについて、何が悪くて何が良かったのかをじっくり考えることができました。どう改善していくか、今後選手として生活していくうえで何が必要で何が必要ではないのかを、自分なりに整理しようと思えた。そういう意味では良い経験になったと思います。まぁ、痛かったですけどね(笑)。
──トレーニングはどんな感じで再開したんですか?
太田:腕立て伏せもできないし、ぶら下がることもできない。自転車のハンドルを握って構える姿勢すら取れなかったので、本当にそういう基礎的なことからやっていけるように、少しずつ可動域を増やしていきました。脚も一瞬で細くなりましたね。動かなければ太るイメージがあるかもしれませんが、私のような体は、トレーニングができないと結構痩せてしまうんですよ。1か月半くらいで、たぶん5キロくらい落ちたと思います。で、その時に調子に乗って洋服をたくさん買ったんですよ。そしたら復帰して2、3か月後には、全部入らなくなりました(笑)。
──(笑)りゆさんらしいエピソード。レースに復帰したのは、怪我から何ヶ月後ですか?
太田:早かったですよ。8月に落車して、9月末くらいには復帰したと思います。
──恐怖心はありませんでしたか?
太田:落車したときの記憶が一切ないので……。と言うか、もともと恐怖心を持ちながら走っていたので、そこは変わらずに走れましたね。ただ、復帰戦は負けました。優勝できなかったんです。でも、その次の開催から勝ち続けて、たぶん30連勝くらいしたかと。鎖骨にワイヤーが入ってる状態で(笑)。
──戦い方は変わりました?
太田:それまでは、自分のパワーやスピードを使ってレースをすればいいと思っていました。でも、怪我をしてそれができなくなった。翼をもがれたような状態で、どうやって勝つかを考えなければいけなくなったんです。そこで初めて、競輪は自分が「よーいドン」で走るだけのスポーツではないと、改めて実感しました。誰かの後ろに入ることも含めて、どうレースを組み立てればいいのか。
強気に自分の力を押し出せない状態で勝たなければならなかったことが、本当に勉強になりました。実際、ダッシュができなかったんです。立ち漕ぎで一気に踏み込めないし、痛みもあって可動域も限られていました。飛べない状態でどう戦うかを考えられたことは、大きな経験でしたね。
──戦略的にレースを組み立てることを学んだわけですね。
太田:そうです。そこからワイヤーを抜いて、翼を少し取り戻した瞬間に、今度は以前のような動きもできるようになった。飛べる状態に戻ってきたのが、今年なんですよね。
──それが、今年の結果にもつながっている。
太田:はい。本来の自分だったら、「この戦法でこの着順を取っても、全然嬉しくない」と思いながらレースをしているところもあります。でも、それは自分の感情やプライドにすぎないんですよね。今、私に求められているのは勝ちにこだわること。車券を買ってくれている人の期待に応えること。そして、何年も応援してくれている人たちをグランプリに連れていくことだと思っています。
その目的を果たすために、折らなければいけないプライドもある。自分が我慢すれば成り立つことなら、目的を果たすことに集中しようと思えるようになりました。
──年末のガールズグランプリに向けて、出場権を懸けたG1レースは全部で4レース。そのうち3レースが終わり、すべて決勝に進出しました。手応えのある結果だと思いますが。
太田:結果だけを見ればそうなんですけど、自分的には、そんなにかな……。最低限やると決めたことにも届いていないかもしれない、と思いながら走っています。ただ、成長しているとは思います。去年は決勝に進めないこともありましたから。
──4月のオールガールズクラシック(松戸競輪場)は、僕もスタンドから見ていましたが、かなり体が動いているように見えました。すごく体が軽そうでしたね。
太田:そうですね。骨はまだくっついていなかったのですが、オールガールズに向けて、早い段階でワイヤーを抜いたんです。早く体を慣らしたかったので。それもあったのかもしれません。翼を取り戻したばかりの自分、という感覚でした。
映画『マレフィセント』を見て──マレフィセントには大きな翼があるんですけど、それを切られて飛べなくなって、すごくダークな感じになるんです。でも、物語の最後には翼が戻ってきて、また飛べるようになる。それを見て、「これ、めっちゃ私じゃん!」と思ってました。またディズニーの話ですけど(笑)
──(笑)結果は2着でしたが、スタンドはすごく盛り上がっていました。
太田:佐藤(水菜)選手をマークしようと思ってスタートしたわけではないんですけど、結果的にそういうレースになりました。動けていたかと言われるとそれも分からないですけど、あのくらいは自分としてはできて当たり前だと思っています。
──この後は、11月の競輪祭でグランプリのメンバーがいよいよ決まります。どんなイメージで臨みますか?
太田:ランキング的には安全圏内にいるけど、それでも競輪祭を「何となく走ればいい」とは思っていません。競輪祭も優勝を狙っていきたいです。
──もちろん、そうですよね。
太田:ここまで積み重ねてきて、グランプリの出場に向けて「大丈夫そうだ」と思えるようになってくると、少しずつ構えずに走れるようになるじゃないですか。着順を取ることだけに集中せず、自分のやりたいこともできるようになってくる。その辺がシーズンの序盤とは違う所かな。そういう意味では、競輪祭では思い切ったレースをしなければいけないと思っています。その先のグランプリを見据えるなら尚更。
──グランプリ、今年は福島県のいわき平競輪場ですね。りゆさんの場合は、グランプリに出場して満足する選手ではないですからね。その先もありますから。
太田:それは分からないですけど(笑)、そう思ってもらえたら嬉しいですね。私にとっても初めてのグランプリだけど、もちろん出ること自体が最大の目標というわけではありません。ちゃんと戦えると思って、グランプリに行きたいと思っています。
ナショナルチームで過ごした8年間
──今年は久しぶりに競輪に海外のトップ選手を招いた、競輪ワールドシリーズがありました。来日した選手は、男子も女子もまさに「Top of the
Top」という顔ぶれで、りゆさんは青森でエリーサ・アンドリューズ選手、ヘティ・ファンデルバウ選手との対戦でしたが、どんな感触でしたか? ナショナルチーム時代には対戦経験のある選手たちですが。
太田:「勝てないわけではない」と思って臨んでいましたね。脚力のレベルだけで言えば、現在は向こうの2人のほうが圧倒的に強い。それは間違いありません。でも、彼女たちは慣れない自転車に乗り、慣れない環境で走っている。持っている力をすべて出せるわけではない状況で、私の土俵に来てくれているんです。だから、私が勝てないわけではないと思って走ったんですけど、負けてしまいましたね。
──ガールズケイリンは国際規格のレースでも採用されるカーボンフレームを使っているけれど、ホイールやハンドルはNJS規格のパーツを用いるのがルールですね。その辺りのマテリアルの差は、パフォーマンスへの影響度は大きいですか?
太田:大きいと思います。あとはシューズも違いますし、ペダルなどのセッティングも違う。彼女たちは普段使っているものとは違う環境で、こちらに有利な条件がそろっていたはずなのに負けてしまった。その悔しさはあります。
──積極的に仕掛けていましたよね。
太田:はい。ナショナルチームで競技をやっていた頃以来、チャレンジャー精神でレースができたので、すごく楽しかったです。周りから「負けるかもしれない」と思われている状況なら、私も思い切ったレースができます。逃げてみたり、普段とは違う展開にしてみたり。
──ナショナルチームでは何年間活動されたのでしょう?
太田:8年くらいですね。競輪選手としては2017年にデビューしましたが、ナショナルチームには2016年から入っていました。競輪学校にいた頃からなので、2016年から2024年までの8年間ですね。
──長いですね。その間、プレッシャーはどうでしたか? もちろんオリンピックを目標に活動していたと思いますが。
太田:常にプレッシャーはあったと思います。周りから受けるプレッシャーもありましたし、自分自身にかけるプレッシャーも大きかったです。同期は普通にデビューして、競輪をたくさん走っていました。特に112期は強い選手が多くて、同期がどんどんグランプリに出ていくなか、私は一度もグランプリに出たことがなかった。東京オリンピックも(リザーブで)出場できませんでしたし。
自分が選んだ「オリンピックに出るためにナショナルチームでの活動に集中する」という道が、本当に正しかったのか。その選択を正解にしなければいけない、という自分自身へのプレッシャーはすごくありました。
──2024年のパリ五輪に出場して、そこでナショナルチームでの活動を引退されるわけですが、これはどのタイミングで決めたんですか?
太田:東京オリンピックの選考に落ちた時点で、パリまで続けるかどうかはものすごく悩んでいました。そこからは、1年ごとくらいに目標を設定して、「これを達成できなかったら辞める」ということを繰り返しながら、気づけばパリまで辿り着いたという感じです。だから、東京オリンピックが終わった時点で、パリ五輪が最終目標だったと思います。
パリ五輪のとき、私は30歳になるタイミングでした。次のロサンゼルス五輪を目指すとしたら、出場できるかどうかは別として34歳くらいになります。競技の成績だけでなく、自分のライフステージのことや、人生でほかにやりたいことがあるのかも考えましたね。そういう意味でも、今後いろいろなことにチャレンジしていくには、パリで引退としておくのがちょうどいいタイミングだったのかなと思ったんです。
──なんか、りゆさんらしいですね。それはそれで先を見据えていて潔い。──パリ五輪のケイリンでは、日本人史上最高順位となる9位でした。でも、僕の中ではやっぱりスプリントのイメージが強いです。2022年も2023年も、アジア選手権では「結局りゆさんが勝って帰ってくるんだ」と思いながらチャンピオンジャージを作っていました。もともと得意な意識はありましたか?
太田:いえ、むしろすごく苦手だった種目です。東京オリンピックのときもそうで、オリンピックに向けて私がスプリントで結果を出せなかったから、日本は出場枠を1枠しか取れなかった、と言っても過言ではないくらいに思っています。
本当に苦手で、どうやったら勝てるのかも分からなかったスプリントを、何とか改善しようと思ったんです。その頃、日本人選手でもスプリントで活躍できるんだと思わせてくれたのが、同じ時期にナショナルチームで活動していた深谷(知広)さんでした。深谷さんは当時のワールドカップやネイションズカップでもメダルを獲ることが多かったし、他にも新田(祐大)さんや河端(朋之)さん、脇本(雄太)さんなど、スプリントで活躍する日本人選手がどんどん出てきたんです。
身近にスプリントで結果を出している選手がいる環境になったので、深谷さんのところに行って、動画を見ながら「ここはこうだ、ああだ」と話し合ったりしました。ジェイソンやブノワといったコーチ陣とも話をしましたし、実際に競技をしている選手たちと意見交換しながら、苦手なものを克服しようと頑張ったんです。
──僕は当時、新田選手と仕事をすることが多かったのですが、やっぱり向上心の塊みたいな人ですよね。
太田:あとは先輩では前田(佳代乃)さん──、「かよねぇ」ですね。今も仲良くしてもらっていますが、彼女は全日本10連覇のスペシャリストなので。そういった経験や考え方を持っている先輩たちが近くにいて、いろいろ教えてもらいながら、みんなとディスカッションして技術を一緒に作り上げていく感じ──。一つひとつ課題を克服していくうちに、スプリントが楽しいと思えるようになりました。
スプリントには、小さなテクニックがたくさん含まれています。ゆっくり動いたり、突然仕掛けたり、3周のなかで本当にいろいろなことが起きる。それが面白いと思うようになって、結果にもつながりましたね。2022年と2023年にはアジア選手権を連覇できました。──覚えてくれている人がどれくらいいるか分かりませんけど(笑)。
──いや、そのイメージが強いです。スプリントで自分の得意な部分を見つけたことは、競輪にも生きてきたんですか?
太田:そうですね。スプリントができるようになってくると、競輪はすべての選手を同時に見るスポーツではないんだ、ということが分かってくるんです。ブノワコーチともよく話していましたが、競輪は「何人かがグループになっている、その塊を狙っていく」という考え方が大切になってきます。その集団をどう動かすのか、どこについていくのか。そういう考え方に、スプリントで学んだことが生きてきました。
で、最終的にはパリ五輪でのケイリンの成績にもつながったと思います。
──競輪の展開のなかに、小さなスプリントレースがあるようなイメージですね。
太田:そうです。私は、そういう展開を自分で作り出す競輪をするようにしていました。競輪は、脚力やスピードがすべてではないと思うんです。展開を作るための考え方も必要ですし、運もある。強い選手が絶対に勝つとは限らないのが競輪ですね。
ファッションは、自分らしくいるためのもの
──INEIVEはサイクリングアパレルなので、ファッションについて聞かせてください。最近は(INEIVEの母体である)WAVEONEブランドの方で、オリジナルジャージのデザイン監修をやらないかと声を掛けさせてもらって、「STEEL
BLOOM」というタイトル/コンセプトで実際に販売まで実現しました。もちろんブリヂストンサイクリングとの繋がりの中で、競輪選手としての活動以外のファッショナブルな側面も見ていたからですけど、僕の想像以上に乗り気で、声をかけて間違いなかったなと(笑)。りゆさんにとって、ファッションってどんなものですか?
太田:また、難しい質問ですね──『アナザースカイ』みたい(笑)。
──『セブンルール』とかね(笑)。
太田:私にとってのファッション……。年々、その意味合いは変わってきている気がしますね。競技をやっていた頃は、ファッションは鎧のようなものだと思っていました。自分を奮い立たせるものだったり、気持ちを切り替えるスイッチだったり。でも最近は、かっこつけるためとか、自分を守るためという感覚はあまりありません。
ただ好きだから着る。自分のために楽しむ。昔からそういう部分はありましたけど、今は本当に「好きだからやっている」という感じです。歯磨きと一緒ですね。日常的に当たり前にすること。別に特別なことではないんですよね。
STEEL BLOOM (2025)
STEEL BLOOM (2026)
──今は、もっと自然体になった?
太田:はい。今は「お化粧をしている私でもいいし、すっぴんの私でもいいでしょ」という感じです。
──ファッションのインスピレーションは、どこから受けることが多いですか?
太田:「こういうふうに生きたい」というロールモデルが特別にいるわけではないです。でも、Instagramなどでいろいろな人を見ていて、「こういうファッションがいいな」「真似してみたいな」と思ったら、そこから取り入れることはあります。日本の女の子というより、海外の女性から影響を受けることが多いかな。
それから、私はネットでは洋服をほとんど買えないんです。見てのとおり自分の体のサイズ感は特殊なので、実際にお店を歩いて、気に入った服を見つけることが多いです。
流行を追うというより、自分が着たいものを着る。それが基本ですね。流行っているもの自体、あまり分からないんです。流行っている曲とかも分からないし(笑)。
──では、周囲から「どう見られたいか」よりも、「自分のために着ている」という感覚が強い?
太田:完全に自分のためだと思うこともありますし、人に見られることを意識する場面も、もちろんあります。
──じゃあ、メディアに出る機会の多いG1レースの前検日(※レース日程前の前日検査。選手は取材を受けることが多い)のファッションは?
太田:なるべくかっこつけます(笑)。
──(笑)
太田:かっこつけつつ、太田りゆらしくいられるようにしています。
──ファッションで、こだわっているポイントや好きなアイテムはありますか?
太田:体のラインを隠すようなシルエットの服を着るのは、もったいないと思っています。私の場合、体を鍛えているので、せっかく作り上げた体のラインを生かせる服を着たいんです。だからマッチョな人がタンクトップばかり着たくなる気持ちも、すごく分かる(笑)。何を食べるか、いつトレーニングするか、そういうことを含めて自分の体にすごく投資しているので、その成果を自分なりにうまく取り入れたいなと思っています。
お気に入りのINEIVE
──トレーニングではINEIVEのウエアも着てくれていますが、どんな印象ですか?
太田:サイクルウエアって、柄が派手だったり、デザインがごちゃごちゃしていたりするイメージがあったんです。でも、INEIVEのウエアは色味がシンプルで、柄もほとんどない。それでいて、着てみると自分のボディラインがしっかり見えるシルエット。自分が作り上げてきた体を、よりきれいに見せてくれるという点で気に入ってます。生地の質感もすごくいいし。
Tempo LS Jersey + Tempo Bib Tights
──競輪選手はロード選手ほどタイトなウエアを着ない印象があるけれど、りゆさんはナショナルチームにいたこともあって、かなりタイトなウエアでも違和感なく着られますからね。アイテムとしては、何が気に入っていますか?
太田:Tempo Bib Tightsが気に入っています。冬場でも暖かいし、とにかく動きやすい。
──生地の伸縮性が高いですからね。りゆさんの腿周りやお尻周りの筋肉を受け止められるか心配したけれど、問題なく着用できて良かったです。
太田:脱ぎ着は多少窮屈ですけど、穿いてしまえばフィット感は最高です。
強いイメージの裏にある自然体
──レースやメディアを通じて見るりゆさんは、やっぱり「強そうで芯が通っているイメージ」が前面に出ているように思います。
太田:「強い」というのは、どういう意味で言ってます?
──ストレートに強そうな女性像で、人を寄せ付けなさそうなイメージというか──。
太田:見た目はそうかもしれませんね(笑)。
──見た目もそうですし、レース前後のインタビューなどでの話し方とか(笑)。
太田:ああいうのは、フィクションもありますから(笑)。
──それも踏まえてですけど、去年くらいから、今までより近い立場で一緒に仕事をさせてもらうようになって、僕のなかでは印象が変わりました。めちゃくちゃフランクで茶目っ気があって、なんか凄く意外だった。そういう一面の「太田りゆ」もちゃんと紹介したいなと思って。
一言で言うと、とにかく「気さく」。誰に対しても平等に話している印象があります。STEEL
BLOOMの撮影の時も、公園で近くにいたおばあちゃんが話しかけてきたんですけど、ほかのスタッフの誰よりも話していたのが、りゆさんだったりして──。
太田:まぁ、おしゃべりなだけですよ。でも人との距離感は、どちらかというと近いほうかな。もう「すぐに友達!」みたいな感じで、気軽に「遊びに行こう」とか言っちゃいますもん(笑)。
──イメージとのギャップが凄い(笑)。
太田:あまり知られていないですからね。プライベートを見せる機会って殆どないし、びっくりしちゃうかもしれないですね。
──こういうインタビューは、そういう一面を知ってもらういい機会ですよね。そんなところも含めてレースを見てほしいです。
太田:じゃあ今後は、強そうに話しているけど、裏ではヘラヘラしているのかもしれない、と思われるわけですね(笑)。
──あとは、りゆさんデザインのSTEEL BLOOMジャージを買ってくれた人と、ロードトレーニング中にすれ違って、Uターンして追いかけた話とか(笑)。
太田:そうです。全然知らない人だったんですけど、着てくれているのが嬉しくて、思わず追いかけてしまいました。
──(笑)いやいや、ファンの人が追いかけてきてくれたエピソードなら分かるんですけど……。面白すぎでしょ。
太田:追い慣れてますからね。捲(まく)りませんでしたよ(笑)。
──そんなりゆさんですが、これからどんなふうになっていきたいですか?
太田:もちろん、強い選手であり続けたいです。それと同時に、誰かに憧れてもらえる存在でもありたいと思っています。「りゆさんに憧れて選手になりました」とか、「りゆさんの話を聞いて競輪を知りました」と言ってもらえるのはやっぱり嬉しいので。そういう存在であり続けたいですね。
一方で、今のように自然体でいられる自分も嫌いじゃなくて。かっこつけずにいられる今の自分を私は気に入っているので、そういう姿を皆さんに見せる機会があれば、受け入れてもらえたら嬉しいですね。
あとは、やっぱりいろいろなことにチャレンジし続ける姿勢は、これからも崩さずに生きていきたいと思っています。それは選手としてだけではなく、人生のいろいろな段階で、という意味で。ずっとバチバチのアスリートでいたいというよりも、自分自身や、家族、友達とか、自分と関わる人たちがみんな幸せになるというのが私も幸せなので。
──自分も周りの人も、一緒に幸せにしたい、ということですね。
太田:「オリンピックに出たときが、人生で一番幸せだった」と思わないような人生にしたいです。実際に今の私は、あの頃よりもいろいろな面で成長していると思うし、幸せです。
──りゆさんらしい力強さ。今後の活躍も楽しみですね。本日は長時間ありがとうございました!
interview and text : Daisuke Fukai / INEIVE
photography : Daisuke
Asauchi